人生の祭り



御守

子供は、神さまから「授かる」といい、かみさまからの恵みと考えられてきました。妊娠五ヶ月目の戌の日に神社にお参りし、安産を祈願し、帯祝いを行います。帯祝いとは、大切な子を授かった身に感謝し、岩のように丈夫にそだちますようにとの意味の込められた「岩田帯」をしめる習わしのことです。これにあやかってこの日にお参りします。


福お守り

子供が生まれてすぐに浴びせる湯のことを、産湯といいます。産湯は産土さまがお守りくださる土地のことで、うぶゆで子供を清め、生命の発展を祈ります。


厄除お守り

出生後七日目にお祝いをすることをお七夜といい、初めて産着の袖に手を通すことが行われます。これは、昔は、子供が誕生しても、必ずしも無事に育つとは限らなかったことから、「七日目」を大事な節目とし、お祝いをしたのが始まりです。




御守

子供が初めて神社にお参りする初宮参りは、氏神さまに誕生の奉告と御礼をし、氏子として今後の健やかな成長を神さまに見守ってもらうようにと祈願するものです。一般的に男の子は31日目、女の子は33日目に行われていますが、地域によって異なることもあります。子供の体調や天候などにも気を使い、一般的にはこれらの期日の前後で、最良の日を選んでお参りをします。


福お守り

生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。これを「お喰い初め」といい、ちょうど百日目にお祝いすることから「百日の祝い」とも呼ばれます。お膳には赤飯や鯛などを載せ、また地域によっては、歯が丈夫であることを祈り、お膳に小石を載せるところもあります。


厄除お守り

生まれてから最初に迎える節供(句)を「初節供」といい、子供の健やかな成長を祈ります。男の子は、端午の節供といい、5月5日に、鯉幟や武者人形」などを飾り、男の子らしくたくましく成長するとともに、邪気を祓うとされる菖蒲の茎を浴槽に入れた菖蒲湯に入ります。女の子は桃の節供といい、3月3日に雛人形を飾り、ちらしずし、甘酒、蛤の吸い物などをいただいて、お祝いをします。地域によっては、身についた穢などを雛人形に写して、川や海にながすといった「流し雛」を行っています。




御守

三歳の男女児、五歳の男児、七歳の女児は晴れ着を着て、家族そろって神社にお参りし、これまでの子供の成長を神さまに感謝し、これからのさらなる成長をお祈りします。七五三は、この年頃の子供の年祝いをする古くからの風習に由来するもので、三歳の「髪置」、五歳の「袴着」、七歳の「帯解」の祝いがありました。「髪置」は、男女児ともに行われた儀式で、それまで剃っていた髪を、この日を境に伸ばし整え始めたとされます。男児の五歳は「袴着」といい、袴を着け始めたことに由来します。七歳の女児は「帯解」といい、それまで付け紐で着ていた着物から帯でしめる着物にかえました。七五三を終えると、地域社会の一員として扱われるようになったのです。


福お守り

子供の入学や卒業なども人生の大きな節目といえます。氏神さまにお参りし、今後のさらなる御加護をお願いします。


厄除お守り

現在は男女とも二十歳になると、氏神さまにお参りして、無事に大人の仲間入りができたことを奉告し、お祝いします。昔、男子は十五歳、女子は十三歳頃になると元服といい、髪形をあらためるなどして、社会から大人として認められるための儀式を行いました。平安時代は貴族の行事でしたが、江戸時代になると庶民にも広まりました。現在は、社会人として、選挙権などさまざまな権利が与えられ、それと同時に法律上の責任や義務も生じ、大人らしい行動や考えを自覚する大切な節目といえます。




御守

結婚は、数ある人生儀礼の仲でも最も晴れやかな人生の節目といえるでしょう。神さまのおはからいによって結ばれた二人が神さまの前で、人生の苦楽をともにして明るく楽しい家庭を築き、子孫の繁栄をはかることを誓い合います。それぞれの家庭が幸せで、安らかな家庭を営めば、健全な社会が構築され、ひいては国の繁栄や世界の平和がもたらされのではないでしょうか。


福お守り

厄年を迎える年齢はちょうど精神的・社会的・身体的に転換期を迎える時期と重なり、体調を崩しやすいものです。男性は25,42,61歳女性は19,33,37歳で、中でも男性42歳、女性33歳は大厄とされ、特に慎むことが必要とされ、神社にお参りをして厄祓いをします。


厄除お守り

年祝いは長寿をお祝いし、今後の健康とさらなる長寿を願い行います。数え年61歳になると自分が生まれたときの干支にもどることから還暦といい、赤いずきんとちゃんちゃんこを着ます。古くから年齢は「数え年」で数えます。日本には「零」という概念がなく、生まれると一歳で、新年を迎えると一つ足しました。これはお正月には年神さまを迎えて、その祝福をいただいて、みなそろって一つ歳を取るという考えからです。



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